正月、大徳寺を歳旦問候したあと隣接する今宮神社に初詣するのがわたしの習慣になっている。今年もいつものように人ごみを掻き分けて参拝したが、なぜか後ろで女の子がクスクス笑っている。理由をきくとお坊さんが神様に頭を下げるのがおかしいという。正月だからわたしは僧侶の正装だ。なるほど余り見ない光景だなと思った。むかしは神仏習合でなんの不思議もなかったろうが、明治の分離令で棲み分けが成立したから神社内の僧侶姿なんて見なくなったのだ。僧侶が神社参拝とは、宗教的節操がないと思うのかもしれない。外国人が見たら特にそうだろう。イスラム教徒がキリスト教会でコーランを読むくらい有り得ぬ不祥事かもしれない。日本人が宗教に無節操だと言われるゆえんである。
だがむつかしい話は別として、わたしの生まれ育った家は東京向島の秋葉神社の境内にあった。大家さんがそこの神主で、東大出の大学教授だった。立派なひとで、子供ながら神職というものの不思議な雰囲気に慣れ親しんでいた。しかし、だからといって神道や神社にわたしはいまだに興味がない。その最大の理由は神道がどこまで宗教か、よく分からないからだ。感覚的にいうなら、伊勢や出雲のあの社殿建築がちっとも面白くないのである。アッケラカンとしていて見どころがよく分からない。さらに日本国中、神社は言うに及ばず小さな祠まで含めると無数の神様の氾濫、大安売りで有難みがない。カドのタバコ屋なみに日常に埋没していて、わざわざ「神の道」なるものの精神性をさぐる気も起きない。もっというなら神社の商売が、七五三や婚礼などの目出度いづくしで、あげくに開運・家内安全・交通安全・学業成就・恋愛成就・病気平癒と現世利益メニューのオンパレードだ。あくまで陽のプラス志向で、微塵の暗さもない。病苦や死は陰の穢れだからひたすら祓い清めるのである。真っ白なワイシャツにちょっとでもシミがつくとあわててクリーニングに出す発想だ。日本人の清潔好き、温泉好きはこんなところからくるのだろうか。「清め」が主たる思想という宗教はいささか奇異である。
だが、最近ちょっと考えを変える文章に出会った。
司馬遼太郎『この国のかたち』の「神道(1)」に、
神道に、教祖も教義もない。たとえばこの島々にいた古代人たちは、地面に顔を出した岩の露頭ひとつにも底(そこ)つ磐根(いわね)の大きさをおもい、奇異を感じた。畏れを覚えればすぐ、そのまわりを清め、みだりに足を踏み入れてけがさぬようにした。それが、神道だった。むろん、社殿は必要としない。社殿は、はるかな後世、仏教が伝わってくると、それを見習ってできた風である(段落省略)。
とある。
ここでふたつのことが、わたしには納得できたのである。清めるとは、汚いもの暗いもの、陰なるものの排除ではなく「畏敬」のもっとも素朴で自然な行為だということ。いまひとつは社殿建築のアッケラカンは、もともと要らないものを要るようにしたためのアッケラカンなのだということである。仏教寺院のマニアックな壮麗さときっちりと対峙する簡素系志向だと知れた。
さらに同文はいう。「ここで言っておかねばならないが、古神道には、神から現世の利をねだるという現世利益の卑しさはなかった」と。ここにおいて、わたしはハタと膝を打った。神道とは、近代自我の分裂と苦悩を前提とした救済思想としての宗教とはまったく関係がない。そんなものは神道から見ればどんな大思想であろうと迷いの上塗りにすぎない。さらには人間が幸福に生きるための手前勝手な手練手管などもまったくあずかり知らぬ世界だということだ。
本来の「神ながらの道」とは、大自然の不思議さへの素朴な驚きであり、そこに生命の本源を見て、人間の愚かさ、うかつさからそれを守るために縄張りした、その空域を神聖としたのである。それは思想とか原理とかではなくただの空き地への郷愁である。だがそれは何もないという強さへの憧れなのだ。
だれもが経験するように、大掃除などで村の祠を開けるときの緊張に反し、開けた扉の中には神様の名を書いたお札一枚や石ころ一個だったりで、がっかりするのである。しかし、そこが神域の空性なのだ。
伊勢神宮の神体は御魂代(みたましろ)の八咫鏡(やたのかがみ)だが、それがどういう鏡かまったく伝わってこない。鏡というものは姿かたちを映す道具だが、たとえばリンゴが鏡に映っていても鏡のなかにリンゴという実体があるわけではない。空虚なのである。むろん鏡の宗教的意味あいとなれば厄払いや太陽信仰と結びつけて考えねばならない。いずれにしろ空虚で実体のない「光」というものが清浄の象徴になっているのだ。とするなら、神仏習合において大乗仏教の「空」の思想と神道の「空なる神域」の考えかたとは案外しっくりいったのかもしれない、と勝手に思ったのである。だが日本人は大陸伝来の仏教をむつかしい空思想として受け入れたのではなく、鎮護国家や来世思想として受け入れたのだから、始めから神仏が仲良く習合したのではないことは確かである。にもかかわらず、仏教の空思想がたぶんに情緒的な無常観としてではあるが、日本文化に定着しえたのは、伊勢神宮はもとより村の神社や鎮守ですらも鬱蒼たる森のなかの明るみとして、われわれがなじんできたからではなかろうか。空域を神聖視することはギリシャのアレーティア(真理のあからさま)などにもいえるが、ことさら余白を尊ぶ空間の美学としての日本人の美意識は、神社の神域などにその始源を見ることができるのかもしれない。
こうなると社殿建築いわゆる神明造や大社造のアッケラカンとしたつまらなさとは、じつはきわめて豊かで深い意味合いを持った様式であるように思えてくる。たとえば伊勢神宮の式年遷宮にまつわる諸行事の経済的、物理的膨大さは圧倒的なものだ。百数十人の宮大工、樹齢三百年の木曽ヒノキ一万本以上、新調する装束・神宝が二千五百点、総工費三百億円という規模である。こんなことを神聖なる空域のために二十年ごとに千年以上も行なってきているのだが、遷宮の中心たる内宮正殿はわずか十二畳の建築物だ。空域というものの重みと深さを痛感するのである。
司馬遼太郎は伊勢神宮を訪れたさいに別宮である滝原宮にも立ち寄りこう記している。
私が見た滝原における白い河原石が一面に敷かれた場所は、じつは遷宮のおわったあとの敷地なのである。しかし、なまじい社殿があるよりも、以前そこに社殿があり、かついずれは社殿が建てられる無のようなこの空閑地にこそ、古神道の神聖さが感じられる。
伊勢神宮は年間千六百もの祭礼行事があるという。なかばレジャー化した現代の「お伊勢参り」にとってまったく無縁のことながら、神という目に見えないものに仕える神職たちの大真面目な姿を思うと、しんと心が鎮まるのはわたしだけではあるまい。日常に埋没した神社のたたずまいから、一瞬でも「空なるもの」の匂いをかげたらと思うのである。 |