一遍を観る(188号所収)

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  平塚 景堂

京都・養源院住職


 相国寺の寺域は京都市営地下鉄烏丸線「今出川」駅に隣接している。近年、この烏丸線が近鉄奈良線と連結してたいへん便利になった。今出川駅から近鉄奈良駅まで直通で行けるのである。
 かつては、奈良へでかけるにはなにがしかの心の準備を必要とした。旅行書などでは乱暴にも奈良・京都はひとくくりにされるが、現代都市としての風貌も歴史的役割もまったく違うものであるから、意識のうえでは奈良行きはちょっとした小旅行だった。
 しかし直通線が開通したいま、わたしは隣町へでかけるほどの気やすさで、それこそやりかけの仕事をそのままにしてでも奈良へ行くことができる。京都から奈良へは単に「今出川駅」から「近鉄奈良駅」へという、点から点への移動に過ぎなくなった。

 そんなわけで、昨年の暮れ、奈良国立博物館で『一遍聖絵』展が開催されると知るや、着の身着のまま地下鉄に飛び乗った。『一遍聖絵』はわたしにとって、生涯見ることかなわぬとあきらめていた必見中の必見物件である。
 そのわけは、『一遍聖絵』が単なる時宗開祖一遍上人の行状絵巻ではないからである。『聖絵』こそは、魂の極北を漂泊する男の、苛烈なまでのドキュメンタリーであり、荒涼とした山河に響きわたる孤独者の叫びだからである。その肉声は、情念の熱い劇性をも突き破り、人間の根源的問いかけへと昇華したものにほかならない。
 だが、わたしの思い入れに反して、『聖絵』はあまりに静寂に包まれた絵画であった。その異様なまでの静けさはどこから来るのであろうか。

万事にいろわず、一切を捨離して孤独独一なるを、死するとはいうなり。生ぜしもひとりなり、死するも独なり。

 この限りある生命体が絶命することを死というのではない。一遍にとって死とは「孤独独一」なることをいう。煩雑な生の執着を捨てて、独一であることが死である。その覚悟と深い洞察が「孤独」なのである。
 近代自我にとって孤独とは、不安と絶望の主要因であった。しかし一遍にとって孤独とは生の本質であり、独一という絶対主体性である。そこへ、あらゆる迷いや煩悩が取り込まれるから、人間の救いがたい生の営みは即「仏の領域」なのである。

生きたる命も阿弥陀仏の御命、死ぬるいのちも阿弥陀仏の御命なり。

 ここで「死ぬるいのち」ということが、『聖絵』をささえる眼目であると知れる。この国宝絵巻を圧倒的に支配する異様な静寂こそは、「死ぬるいのち」であった。
 それでは一遍にあって「死ぬるいのち」としての阿弥陀仏とは何であったのか。釈迦でも観音でも大日如来でもなかったのは何故なのか。
 禅における釈迦如来、密教における大日如来を一遍の「仏の領域」としたなら、『聖絵』は存在しえなかったとわたしはみる。一遍にあってはどうしても阿弥陀仏でなくてはならなかった。すなわち、そこには「漂泊」ということが関わってくるのである。「遊行」ということがどうしても関わってくる。唐木順三は一遍を「飄々乎として遊行する三昧」ととらえ芭蕉の「軽み」に比しているが、遊行は必ずしも手放しの遊戯三昧ではない。その背後に野垂れ死にという壮絶なまでの覚悟があるからである。それはあくまで仏道の行であって、たとえ踊念仏といえども土着性の強い盆踊りとは一線を画すものである。すなわち土着という土地への執着から完全に独立しているのであって、この点は一遍によって明確に峻別されていた。それは後に漂泊遊行する人々を道時衆、土地と生業と家庭をもつ信者たちを俗時衆と分けたことからも知れる。
 では、一遍の漂泊遊行とは念仏の教えを広めるための教化の旅であったのか。もしそうなら、親鸞や日蓮の回国教化の旅と変わらぬことになろう。むしろ一遍はあくまで「捨て聖」であって、回国教化といった宗祖めいた匂いは希薄であった。「捨ててこそ」というその一念が、一箇所に定住することを許さなかった。定住は執着であるという人間の止みがたい宿命を、一遍はみていた。四国の豪族河野氏の出身である一遍は、戦い敗れて離散し土地を失った一族の悲哀を骨身にしみて体験していた。すなわちかれこそは中世的な地方豪族の強烈な自我のひとであり、そのことに最も苦しんだひとだった。現代人の「身勝手」という薄っぺらな自我ではなく、命がけで捨てなければならない土着の自我であった。
 「捨ててこそ」とは、「捨ててこそ救いがある」とか「捨ててこそ浮かぶ瀬もある」といったたぐいの条件つきの言葉では断じてない。「捨ててこそ」そのものである。全存在が「捨ててこそ」なのである。それを漂泊遊行というのだ。そして漂泊遊行には寺も仏像も修行道場も不要であった。そこには赤裸々な生の本質だけがあって、衣食住はぎりぎりまで切り詰められる。そして生の証は、念仏というたったひとつの魂の声だけになってしまう。
 念仏し、踊り、漂泊し続けることだけが「死ぬるいのち」の証なのである。それは人間の土着した自我が他者を食い破って享受する「いのち」ではない。静寂と安息としての「仏のいのち」である。
 『聖絵』の異様なまでの静けさは、仏の領域の静けさであった。それはまた絵巻の背景をなす山河の静けさでもあった。かつて、これほどまでにシンと静まりかえった風景を、わたしは見たことがない。そこを、点景として遊行する一遍らの姿が小さく見え隠れする。つまりこの絵巻の主人公は一遍でも一遍の行状でもなく、おもわず息を呑むばかりに美しく静寂な山河のたたずまいであった。とするなら、阿弥陀来迎図のように、擬人化された阿弥陀仏が紫雲にのって山のかなたから飛来する、といった夢物語のたぐいの絵画とは、『聖絵』はまったくちがうものなのである。『聖絵』の背景たる山河そのものが念仏であり、仏の領域であり、現実にわれわれに関わるいのちの宿命なのである。つまりは、この絵巻の驚異的美しさ、その実存的重みは、宗教画としての教化とは縁もゆかりもないところからくるのであって、万人の魂をうつ何かしら根源の声をもった「静かなる叫び」とでも言うしか言葉がないのである。人智を尽くし、空想をめぐらして仏界を描いた絵画は山ほどある。しかし、現実の山河がそのまま仏界である絵画は『聖絵』をおいてほかにない。「決定は名号なり」と一遍はいう。捨てきった身にほかになにがいるか。ただ山あり川あり、そしてあいもかわらぬ人間の営みがあり、そこを熱い血をもった一遍という名号が通り過ぎてゆく。
 『一遍上人語録』によれば、一遍は由良の法燈国師に参禅したおり、「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏の声ばかりして」と自己の境涯を呈したが「まだまだ」と否定され、すかさず、「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」と返したという。ややできすぎた話ではあり、一遍の境涯としてはこれでもまだ不十分だとわたしは思うが、国師は印可の証としてと薬籠を与えたという。一遍の念仏に「国師の証明」というブランドが、はたして必要であったかどうか。いずれにせよ、漂泊遊行の身には手巾・薬籠とて余計な荷物だったかもしれない。